中国歴史上最悪の惨敗との見出しを出されて、市場価値の97%を消失した企業があります。中国市場の変化のスピードは速く、適切な対応をしていかなければこういったことになりかねません。一つのケースとして紹介します。

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その企業とは”中国の靴の王”と呼ばれた”達芙妮(Daphne, ダフネ)”です。主に女性向けの靴を製造・販売している達芙妮ですが、ここ3年で2,800もの直営店を閉鎖し、164億元もの市場価値を失いました。これはピーク時を基準とすれば97%の価値が蒸発したことになります。

リサーチ会社のユーロモニターによれば中国の2017年における靴市場は3,819億元でその内女性靴が48〜50%を占めるとのこと、達芙妮に何が起こったのか、歴史から振り返ってみましょう。

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達芙妮が起原は1980年代にあり、その前身は1987年に張文儀と陳賢民の2人が香港で起業した永恩国際集団という企業で、主にアメリカ向けに靴製品を製造・販売していました。香港の人件費が高騰するに伴い、創業一年後に彼らは精算の場を中国大陸の”靴の都”と呼ばれる莆田に移しました。

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1990年代に入り、女性向け靴市場が勃興し始めるのを目の当たりにした彼らは達芙妮というブランドを興しました。当時はアパレル大手の百麗集団が持つ百麗(BeLLE, ベル)というブランドがハイエンド女性靴市場に位置していたため、達芙妮はミドル・ロークラスで参入したのです。結果は成功し、1995年に香港市場に上場を果たします。

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この時点での達芙妮は卸売販売のビジネスモデルでした。しかし、1999年に陳英烈という人が達芙妮の総経理になって以降、直営体制に切り替えたのです。中国市場の急速な発展速度に適応し、機を見た販売価格の適正化、在庫の調整などを行うためです。

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この方式にした後の達芙妮は急速に店舗拡大を行います。2003年に739であった直営店の数を、わずか10年で10倍近くの6,881店まで拡大します。最も拡大した2013年時点で、毎年5,000万足近くの女性靴を販売し、シェアは20%に到達するところまで至りました。

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その2013年以降、様相が変わり、一路下降線を辿ります。国内の競合の激化、ブランドの陳腐化、デザインのファッション性、人件費の増大などが理由として上げられていますが、ECが登場したことも打撃であったようです。過去3年間での達芙妮の損失は20億元を超え、2,813店を閉鎖するに至りました。

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達芙妮自身は当然かもしれませんが、諦めるなどの軽々しいことは発言していません。2013年には店舗デザインを一新し、ブランドを代表する著名人を変更、ブランドイメージの向上を行いつつ、O2O(オンラインとオフライン)戦略を作成し、再生に向けて動き出しています。

また、2018年に達芙妮のトップは創業者の張文儀の息子である張智凱に引き継がれました。非常に苦しいタイミングで困難な任務を引き継いだことになりますが、「全ての困難と同様、革新を起こし、転換を行うためには短期的な痛みも受け入れる」と言う彼の今後の経営手腕に注目です。

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