2019年8月15日13:22, 中国食品工業界に激震が走りました。”白酒の王”と呼ばれた秦含章が北京にて逝去したのです。茅台や汾酒などの中国白酒の有力企業は次々に哀悼の意を示しています。

_

欧州に留学後、茅台、郎酒の基盤づくりを支援

秦含章は1908年2月15日に日本人に馴染みのある江蘇省無錫市で生まれました。1931年に上海国立労働大学農学院を修了後、欧州へ留学、ベルギー国立ブリュッセル高等農学研究院にて工学修士の学位を取得しました。その後、同じくベルギーのブリュッセル大学植物学院にて微生物学における博士課程を、更にドイツのベルリン大学で発酵学院にてビール工業についても修士課程を修了しています。

中華人民共和国の成立後、彼は周恩来総理の呼びかけもあり北京に戻り、食品工業部、軽工業部、第一軽工業部、軽工業部食品発酵工業科学研究所、中国系工業協会、中国食品工業協会などの要職を歴任します。また、第三、五、六会の全人代に選出され、1956年には軽工業グループの副グループ長として第一次五カ年計画の策定に加わります。

”国酒”と呼ばれて親しまれている茅台(Moutai:マオタイ)の董事長である李克良は彼のことを恩師と呼ぶことで知られています。秦含章は8年もの間、茅台の品質についての研究に時間を注ぎ、茅台鎮の水質が茅台の品質を決定づけていることを証明し、工場の場所を固定することを進めたことでも知られています。

茅台の水質は湖南省にある赤水河が決定しているとの結果でしたが、同じ地区にある別の白酒メーカーである郎酒に対しても、秦含章は多大な貢献をしてきました。1984年に郎酒が中国名酒の評価を勝ち取った際、郎酒に対して自筆の文章を送ったことも知られています。

秦含章の追悼集会に顔を出した郎酒集団党委員会書紀である李明政は、初めて秦含章と会った時彼は既に94歳の高齢であったにも関わらず、足腰はしっかりしており、声も通っており、ユーモアも交えた会話は思考の明晰さを示すものだったと回顧していました。

また一人、中国の巨人が逝きました。