特に面白い記事も見当たらなかったので、ちょうど昨日の昼にランチを食べながら、某大型インターネットプラットフォームの合併で世間を騒がせた会社に勤める友人に話した内容をメモ的に書き起こしてみます。そのテーマが表題のようなものです。

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日本でもベンチャーブームが一巡したと言われています。一巡したということはそれなりに投資環境としては恵まれた状況にあり、実体としての案件があり、一連のイグジット、すなわち上場などが行われたことを意味します。

ビットバレー自体から起業、ベンチャーのムーブメントは常にインターネットテクノロジーとともにありました。それはここで散々記事にしている中国も同じです。インターネットテクノロジーは、限りなく安価に提供されるため、今まで非効率であっても最先端のテクノロジーを活用できなかった業界に、生産性革命をもたらすことができます。起業家やベンチャーはそこに目をつけたということです。

非効率な業界の特定のプロセスについては、改善の余地があるが放置されたいたということです。すなわち、そのニーズ自体は顕在化してはいたもののコストパフォーマンス、投資効率が悪かったのです。ですから、インターネットテクノロジーをそこに応用できると見込んだ目利きによって、「今まであったプロセスをインターネット化する」ことに対して、お金が集まったのです。

人はこれを”イノベーション”と呼びますが、果たしてイノベーションの概念はもっと広いものがあるはずです。プロセスの無理・無駄をなくして社会全体としての生産性を上げることは重要です。そして、社会全体の生産性を上げるためには、付加価値を上げる必要があります。

この付加価値を上げる活動がベンチャーの中で行われていないなと感じます。あくまでもインプットに対するアウトプットの効率化に目が向けられており、その効率化された時間で、今までなかったような新しい付加価値を生み出していくような活動が行われていないなと感じる訳です。

上記のような生産性を上げる活動は、合理性を追求する技術者やエンジニアから生まれ、そこに投資家がお金を投じます。非常に「賢い」人々、言ってみれば「秀才」から生み出されるのです。

しかし、今までに世の中になかったような価値を生み出すのは、正規分布で言う所の端っこ、非常に偏った人々、すなわち「変人」や「天才」です。変人や天才は世の中の規範からかけ離れているので、秀才の人々とは相容れません。もちろん、秀才でもなんでもない一般の人々からは白い目で見られます。

そういう人を一定量許容してきたのが日本の良いところであったはずなのに、いつしか社会的正義や規範が幅を利かせ、天才や変人が遊ぶ場所がどんどんなくなり、秀才がプロセスを機械化していくだけ、という世の中になってしまったような気がします。

よく遊んだ人間が新しい価値を創るんです。

河原乞食が芸を磨いたのです。

皆さん、大事なものを忘れてますよ。