中国で「大学三年次の起業」がブーム、「90後」の起業家3人の物語から
張仕郎にとって、起業して初めての受注案件は、公共バスに乗って海淀(北京の科学技術区で清華大学、北京大学やIT企業の集積地)から通州(北京のベッドタウン)へ4時間を掛けて往復することでした。
2013年、中関村(上述した海淀区の中心)モデル地区における35歳以下の創業者は6,785人でした。これは中関村モデル地区における創業者の約半数を占めています。内、30歳以下の比率が22.6%と、起業の低年齢化が続いており、「90後」(1990年代に生まれた世代)が今では主力となる中、「21歳起業現象」すなわち大学三年次に起業するブームが生まれています。
狂気と成長
「90後」の美女が科学技術企業と共同で起業
周婧は典型的な「90後」です。1990年に生まれた彼女は、大学三年の時にアメリカの「創業リーダーシップトレーニングプラン」を知ったことが起業のきっかけとなりました。その後、彼女は在学中に、Appleプラットフォーム向けの読書アプリを開発し、香港のApp Storeの中で悪くない成果を出しました。2012年に彼女は、以前マイクロソフトの米国本社でInternet Explorerのコア研究チームに所属し、インターネット業界の専門家でもあった陳本峰(クラウド系企業「云适配(Cloud Adaption)」のCEO)と共同で、「美通雲動(北京)科技(AllMobilize)有限公司」を創業しました。コア商品のクラウド適合技術とは、端末プラットフォームに依存しない最先端のWebを作るための技術で、現在5,000種類のモバイル端末をカバーしています。メディアの評価では、2014年中国モバイル・インターネット業界におけるトップブランドの女性と言われいます。
周婧は西安で生まれました。北京青年報の記者が初めて彼女を取材した際、彼女はスーツを着て、理髪的なショートカット、化粧は薄く、話す速度は非常に速く、成熟して経験の深い印象があり、とても「90後」とは思えませんでした。高校卒業後、周婧は香港科技大学へ進学します。彼女は自ら、小さいころから成績は優秀で、両親から見ても良い子であったと言います。しかし、起業をしたというのは、生きてきて今まで、最も「狂った」意思決定であったと考えています。
「香港に進学して選択したのは商学部。周りの多くが金融系を選択し、投資銀行のような業界に進み、高収入なホワイトカラーとなるのに対して、私は起業することを選びました」。ひとつは、彼女自身が理系的な要素、IT,スマート系の技術が好きだったということと、自分の手で実際に手に取ることができる製品を作ることには達成感があり、社会にも影響を与えることができると考えたことが理由でした。市場にもポテンシャルがあったということも、彼女が起業という考えにのめり込むきっかけになりました。
2012年末、周婧と陳本峰は北京で創業プロジェクトを立ち上げます。2013年1月、2人のファウンダーは揃ってマイクロソフトのインキュベーションセンターに進みますが、半年後の卒業時に彼女たちのチームは20数人になっていました。そして、1年以内にエンジェル投資家とシードキャピタルからの投資を受けることができました。クライアント数も、半年で10倍の速度で増加しました。
周婧曰く、2013年中旬で100クライアントだったものが、2013年末には1,000、2014年中旬には1万、更に同年下半期では百度(Baidu)と戦略的提携を行ったこともあって爆発的な速度で拡大し、2014年末には10万クライアントにまで増えました。現在は、Lenovoグループ、Hisenseグループなどに対してもソリューションのテスト段階に入っています。
周囲の「90後」はまだ未熟な人も多いと感じてはいましたが、起業をする際に自分が「90後」であることは特に意識しなかったそうです。他の世代とのコミュニケーションにも苦労はなく、また「90後」は(若いが故に)学習能力が非常に高いという強みを持っており、思考方式に特に変わった点があるわけでもないので、高速で成長することがでると思っていました。しかし、マネジメントをするということはチャレンジングでした。例えば、マーケティング人材を募集する段階で、どのような経験を持った人を募集すれば、どのように文章を書いたら良いのか全く分からず、毎日がチャレンジでした。「しかし、怖いということではありませんでした。どのように文面を書けば良いのか、どのように契約書を作れば良いのかについては、学び続ければ良いのです。色々と学んで試す中で経験値が上がっていくのです」。
IT業界で起業していなければ、何になっていましたか?とよく聞かれるそうです。彼女は、音楽に興味があったため、例えばチェロ奏者になりたかったと言います、「だって女性のチェロ奏者は格好いいでしょう?」と。しかし、生活に「たられば」はありません。既に彼女のチームは70, 80人の規模になりました。「80後」、「90後」と、比較的年齢層の高い従業員が均等に分布しています。「九死に一生」と彼女自身が定義する起業とその後のストーリーは、まだ幕を開けたばかりです。
信じ抜くことで貧しさに耐える
O2Oメガネ屋さんの反抗
張仕郎の年齢は「90後」にとってやや変化球になるでしょうか。彼は1990年の3ヶ月前に生まれました。彼は有名な大学を優秀な成績で卒業している訳でもなく、お金持ちの二代目でもありません。彼が起業したのは、大学三年の時に遭遇した、メガネのレンズ合わせにおいて、「やられた!」と感じた体験がきっかけになっています。張仕郎はそれまでは我慢して耐え忍ぶ消費者でしたが、伝統的なメガネ業者を転覆させる、それに人生を賭けるという意気込みを持つようになりました。2014年彼は「雲視野(北京)科技有限公司」を立ち上げ、真っ先に学生たちにO2Oメガネのテスト販売を開始しました。
大学三年の時に、視力が悪かった張仕郎は、目に違和感を感じ重大な問題があるのではと、病院へ行って検査をしました。結果は、正に「見誤る」というもので、目自体に問題はありませんでした。メガネのレンズと瞳孔の距離が正確でなかったのです。彼がもともと使っていたメガネのレンズは、メガネ屋によって勝手に安価で質の悪いレンズにすり替えられており、かつ薄くするためにレンズを削られていたのです。
これ以降、彼は独学でVisual Basicを学び、コンピューター上で誰でも簡単に操作をして、レンズと瞳孔の距離を測ることができるソフトを作成しました。それだけでなく、メガネ業界の全てを理解するために、卒業までの夏休みや冬休みなどの期間を利用して、大学近くのメガネ卸市場で販売員としての実習を行いました。卒業後、上海にある国有企業への就職機会を放棄し、できたばかりのECメガネ店には入り、自ら中級視力矯正師の資格をとりました。
業界知識を習得した後の2014年、張仕郎は「雲視野(北京)科技有限公司」を立ち上げ、wechatの公式アカウントを取得しました。wechat上で予約ができる上に、視力矯正師を自宅まで派遣してもらうことも可能です。消費者は一歩も家を出ることなく、メガネの調整ができます。かつ、その値段は100数元と、他のメガネ屋さんよりも格段に安いのです。
張仕郎が会社を登記した当時、会社法が改定され、0元起業が可能になりました。彼自身も1元で会社登記をしています。2014年6月、エンジェル投資家の集まりに参加し、7月にはエンジェル投資家からの資金獲得を実現。11月には準備を整え、北京に事業の拠り所を開くことができました。
しかし、起業の過程は上述したように破竹の勢い、順風満帆のはずがありません。「私の経験を例に挙げて後輩たちに言うことがあるとすれば、強く意思を持ち続けること、そして困窮することを怖がらないということです」。彼は、開店したばかりのECメガネ店に就職しました。とても規模の小さい会社でした。スタッフは、マルチタスクで仕事をしなければなりませんでした。当時の張仕郎は、weibo上の自己紹介ページの職業欄に「トイレ掃除」と書いていました。「それは本当にトイレ掃除のようでした。でも、おかげでメガネ屋のあらゆる業務プロセスに接することができました」。
張仕郎は、現在の北京での生活が一番苦しい時期だと言います。お金も無く、双井(北京中心部から小さい川を挟んだ地区、発展していますが、貧困地区もあります)に家賃600元(12,000円)の「寝床」を借りて、創業時でもあり社長も従業員もひっくるめて自分ひとり、バックパックを担いで向かう先は「オフィス」である図書館、寝床を出れば公共バスに乗り、更に地下鉄で移動します。地下鉄の中では自らの創業を伝えるための替え歌を口ずさみ、自分の力だけを頼りに、微信やweiboをチャネルとした宣伝活動のみで事業を大きくしていくのです。創業後1ヶ月はまったく音沙汰無し、2ヶ月目にようやく1件の商談がありました。カップルから電話のオーダーが入り、公共バスで海淀から通州まで行き、往復で4時間かかりました。これが最初の仕事です。売上は400元(8,000円)強でした。
当初、彼の両親は、彼の友人たちが彼がリスクを取ることについて反対している中、上海の国有企業のオファーを蹴るこについて、全く理解することができませんでした。しかし、彼は自分自身の決定に従いました。結果、エンジェル投資家から資金を獲得することができました。メガネ業界で数年献身的に働き、探求を続けたことは、投資を受けるにあたって重要な要素でした。今に至るまで、4,000元という張仕郎の毎月の役員報酬は、まっとうな進路を決めた友人たちと比べて、また、他の創業者達の多くと比べても低いもので、言わば一スタッフの給料です。しかし、彼は諦めません。自分で事業を起こす場合、短期間で収入は追いついてきません。「雲視野」の計画では、短期的に、北京にある10箇所位以上の大学を販売拠点とし、中期的には学生市場の40〜50%シェアを獲得し、最終的には上場することを目標としています。
選択と理性
留学帰国組大学3年制の起業
陳心怡は、1993年生まれで2011年に米国プリンストン大学の数学科を卒業、2012年には「20 Under 20 Thiel Fellowship」というビジネスコンテストで賞金を獲得し、2013年に北京中関村にて、VR領域の研究開発を行う「格灵深瞳(DeepGlint)」社を立ち上げました。
このビジネスコンテストは2011年に始まったもので、大学生が休学期間に起業することを奨励するためのプログラムです。発起人はPaypalの創業者で、Facebookのアーリーステージにおける出資者でもあり、シリコンバレーでも有名なPeter Thielです。このプログラムでは、毎年全世界から20名の若者を選抜し、10万元(200万円)を賞金として与え、2年以内に大学を休学してプロジェクトを完遂し、起業するというものです。
彼女は、中国の学生でこのプログラムから賞金を獲得した第一号です。大学2年の時にスマートフォンのリモートコントロールシステムを開発したことが、このプログラムで賞金を獲得する理由となりました。賞金獲得後2年間大学を休学し、シリコンバレーと深センの起業を検討した後の2013年にDeepGlintを創業しました。
彼女は、いわゆる「90後」について、幸せな世代ではないかと考えています。「私達には選択肢がたくさんあります。自分が好きなことを選んでも構わないし、人生設計に何の制約もありません」。彼女がパートナーと一緒に起業した頃、オフィスは3LDKの民家で、スタッフは10名弱でした。それでも、事業は、未来の生活を変えるほどの影響力を持つものであること、それが最も重要だったと言います。
起業後の事業は、コンピューターの視覚表現に関する部分的な演算に関するものでしたが、現在はコンピューターによる視覚表現を自動車の中で実現するためのソリューションを研究しています。スピードや道路状況、交通標識など識別もすぐにできるようになります。彼女曰く、この新プロジェクトに身を投じることで、プロジェクトと会社の成長を毎日感じ、目標と意義についての意識を新たにし、興奮とプライドを実感することができるそうです。
北京青年報編集後記:
2013年、中関村(上述した海淀区の中心)モデル地区における35歳以下の創業者は6,785人でした。これは中関村モデル地区における創業者の約半数を占めています。内、30歳以下の比率が22.6%と、起業の低年齢化が続いており、「90後」(1990年代に生まれた世代)が今では主力となる中、「21歳起業現象」すなわち大学三年時に起業するブームが生まれています。
学生起業家出身でエンジェル投資会の発起人である蘭宇羽によると、学生の起業は珍しいものではなく、彼らは合理的なロジックを持っており、彼らの年頃の強烈な自我と共に創造的な思考が加わって、約束されていない世界に飛び出していくのは自然、むしろ起業における黄金期であるとのことです。また、以前と比べて、起業という概念に対する認識や、関連するサービスは成熟しており、大学生の起業ブームが起きる良い条件が揃っていると指摘します。
しかし、蘭宇羽は、起業のための起業というのは成り立たず、このような多様化社会の中で狭い範囲での起業もするべきではなく、確実に興味があって、全く新しい意義のある事を手掛けるところに価値が生まれると言います。
彼はまた、方向を決めることは非常に重要で、まずそこに興味があるのか、そして市場における新しい突破口を掴んでいるかどうかが重要であり、初めから大きなことをする必要もないと言います。小さいところから初めて経験を積み、次にチームを組織して、最後に執行力をつければいいのです。また、特に自信が無い学生たちにとっては、ベンチャーに入って経験を積むことも選択肢としては悪くない、とアドバイスしています。
同時に、ある専門家は、大学生の創業について、盲目的に年代で括るべきではないと指摘しています。21世紀教育研究院の副院長である熊丙奇によると、大学生の起業が話題となってに久しいですが、中国の大学卒業生の起業率が極めて低いことを指摘しています。麦可思(Mycos)研究院が発表した「2014年中国大学生就業報告」によると、2013年の大学卒業生における起業率は2.3%でした。「確かに、近年起業の割合は上がってきているものの、起業を選択する学生の絶対数は極めて少ないという事実があります。学部卒業生の起業に対する理想は強烈ですが、現実は厳しいものです」。また、別の専門家は、中国での学生の起業成功率はわずか2〜3%で、社会人での起業成功率の30%に遠く及ばず、海外の学生起業家の成功率よりも低い、と指摘しています。
このような状況の下、熊丙奇は、盲目的に学生に対して起業を勧めないと同時に、堅実な仕事で基礎を養うこと、人材トレーニングの品質を上げること、学生起業の環境を整備すること、産業の参入障壁を下げること、機会平等となる競争環境を作ることなどを提言しています。