中国流:若者よ大志を抱け! デモなんかやってる暇あったら老人を取り込もう!
最近、ウォールやTLに飛んできたニュースの中で2つ気になったものがありました。
レガシー経営者のロジック、若者にとっての嘘
1番目の記事、僕は学生側の反論(主張?)に対して全面的に賛成です。主催者であるIPA(情報処理推進機構)の西垣さんが、伊藤忠商事で在中国日本国大使も勤めた丹羽さんの「10年は泥のように働け」という言葉を引用して、それができる学生に挙手を求めたそうですが皆無だったとのことです。
そりゃそうですよね。喩え話としても、働く人間を「泥」と言ってる時点でアウトです。彼ら他にCSK、コムチュアの役員が出席されていて記事の中でいくつかの発言が掲載されていますが、一般論も含めてこういった”古いタイプ”の経営陣に見られる傾向は、
- 労働者を人間とは見ていない、駒として見ている
- 既存の会社、ビジネスモデルを変えないことが前提
- しかし、既存のビジネスモデル(この記事が指すIT/SI業界)は分配の観点からは既に破綻
- 更に、経営者としてビジネスモデルとやりがいについて説明ができていない
- だから、”環境適応力の高い人間”が求める
CSKの有賀さんも、「業界に対する説明がなされていない」と、もはや他人事です。
大きなストーリー、小さなストーリーのない世界
僕は今の学生や若い人たちは上の世代から”ゆとり”と揶揄される中で、日本の経済構造に対する閉塞感を直感的に感じ取っていて、わかりやすい大きなストーリー、すなわち夢とか社会貢献を求めているように思います。経済状態が苦しくなり、世の中に溢れる小さなストーリーには魅力がなくなってきています。その中で、夢や社会貢献、社会に対する反抗的なものでもいいですが、大きなストーリーを大人側が提示できていない典型的な姿が上記のセミナーでの経営者側の発言なんだろうと思います。
僕はバブル世代は中学生だったので、直接的な恩恵は受けていません。しかし、僕が大人になるまでの過程で、色々な経済・社会的な変化がありました。スキーブーム、車、音楽、クラブ、それこそバブル崩壊に向かって急激に日本人がお金持ちになった時代を見たり、体験したりしています。メインカルチャーもあれば、カウンターカルチャー、サブカルチャーもありました。皆が、自分なりのカッコ良い生き方を追求することができたギリギリの世代かなと思います。しかし、今の若者にそれはありますかね?
レガシーシステムだけではもう持たない日本
さて、2番目の記事。外国人の目から見て、日本人の生産性は低いというものです。生産性って国で言えば国民(もしくは生産年齢人口)1人あたりのGDPで捉えられることもありますし、企業で言えば従業員1人あたりの付加価値(≒営業利益)ですよね。以前、IMFのデータで見た限りでは日本のTFP(全要素生産性)は先進諸国と比べて低くなっていました。高度成長期からバブル崩壊までにかけては非常に高かったのですが、足下ではダメです。色々な要素がありますが、身近なところで証明できそうです。
僕はいわゆる大企業と中堅企業に勤めた経験があります。特に大企業の中で見た光景として、こういう人が普通に、たくさんいらっしゃいました。ほとんど成果らしい成果をあげていないにもかかわらず、年功で高い給料と退職金を含めたリターンを得ている人です。バブル崩壊後、日本の生産性が急激に下がったのは、こういった高齢の従業員の生産性が著しく低くなってしまったことに大きな要因があると思っています。
こういう人を中堅社員、若手はよく見ています。そしてどうなるかというとニヒリズムというか、事なかれ主義、出る杭にならない主義です。結果として、中堅、若手の生産性も下がっていった結果が今なのではないでしょうか。
イノベーション、胡散臭くてもやらないと!
もう一度思い出しましょう。生産性とは1人あたりのインプットとアウトプットの関係。すなわち、スループットの考え方です。従業員の平均年齢の上昇とともにインプットに負荷がかかっているのだとすれば、もう一方でアウトプットを極大化すれば良いという考え方もあります。今までと同じアウトプットを出している限り、インプットの負荷が増大する中でスループット(生産性)は落ちます。だからこそ、アウトプットの極大化、すなわち今までとは全く違うイノベーションをどんどん起こしていく必要があります。
もう一度、ひとつ目の記事に戻ります。ではレガシーな経営者たちがそういったことを考えているでしょうか?否、全くそう見えません。会社の指揮権、リソースを一手に握る経営者たちが”変わること”に対して保守的なのです。完全な悪循環です。簡単にいえば、(自分たちを含めた)老人に安定した老後を送ってもらうために、若い人たちに犠牲になってもらおう、そしてその後、会社がどうなろうと知りはしない、どうせその頃はいないんだからという考え方です。
これは、”会社”を”社会”に置き換えてもそのまま成り立つ議論です。資本主義社会である以上、経済活動の主体、すなわち会社の集合体として社会が成り立っていますから。これからの若い人たちは本当に大変だと思います。そういう話をしても、「そうなですねえ」とホンワカしていることも多いですが(笑)。
若者がイノベーションを起こす時の誤解
今、若い人たちが一部でデモのような形で声を挙げています。僕はこのやり方は完全に間違っていると思います。若い人たちがチャンスを握るためには、①新しい付加価値を生み出すアイデアを出すことと、②老人に固定された資産をどんどん流動化させていくことのセット以外にないと思っています。いくらデモをやったところで、①には到達できません。貴重な時間をマイナスサムゲームに投入するからです。また、②にも行き着きません。簡単ですね。老人の反感を買いますから。
若い人たちは賢くなるべきです。賢く考えて、①、②を満たすための行動を起こすことです。①新しい付加価値は日々のプロフィットを生み出す、”プラスサムゲーム”を作り出します。そして、そのゲームを回転させるための機動力、血液としての②老人の資本力です。簡単にいえば、面白いことをどんどん考えだして、老人に取り入ってお金を出してもらうことです。老人たちも若者たちの面白いモノ・コトにどんどん引き入れて、彼ら自身の楽しみ、生きがいを創ってしまうことです。
プラスサムゲームをやりましょう
”老人”と比喩で書いていますが、わかりますよね。既得権益層のことです。ここを動かすことは並大抵のことではないですが、不可能ではありません。なぜなら、デモのように過去の話でマイナスサムゲームをやってどちらが負けてボロボロになることはなく、プラスサムなので未来の利益の話ができるからです。
ポイントは、
- 新しい付加価値の源泉となるアイデアをどんどん考えること
- それを老人(既得権益)にプラスサムゲームとしてぶつけること
- 過去に触れずに未来を語ること
この3点です。
身近なところで実行できることはたくさんあると思います。僕も協力します。日本の老人(規制概念、過去)に悲観せず、どんどん楽しいことにチャレンジして行きましょう。そして、ハッピーな繋がりをどんどん増やして、最終的に皆が笑っている世界を創りましょう。