中国エリートのパンク人生、北京大学の修士が選んだ職業は?
作業用の服を着て熟練な様子で壁を拭く姿は、その分厚い眼鏡をかけている以外は、普通の左官屋さんと何も変わりません。しかし、彼、孫俊峰は北京大学社会学専攻を修了しているのです。修了後、孫俊峰は左官屋になることを選びました。このことは、ほぼ時を同じくして北京大学を出た後に屠殺工となった方と同じく、周囲に大変な波紋を投げかけています。
孫俊峰は2006年に北京大学へ進学する際に、家族が合格通知書を村人に見せたものでした。当時、郷里の新聞にも取り上げられ、彼自身は「家族に孝行できました」とのことです。時が経ち、孫俊峰は修士課程を修了すると、多くの省や市などの地方政府から公務員になる機会を得ることができました。家族ももちろん、彼に公務員になって欲しかったのです。家族にとってこれこそが北京大学に息子をやった意味があるというものですから。
「小さい頃から家族の言うことは聞いてきました。ただ、たまに反抗したものです。自分の性格は体制には向いていないのです。社会に声を上げてみたかったのです。自分にできるのか分かりませんでしたが、左官屋になった理由は、一つは身近に私と一緒にやってもいいという人間がいたこと、二つ目は、技能を使う人間には自由があると思ったからです。自分の理想の状態にも近いし、それならばということで先に会社に入り勉強をした後に自ら会社を興そうと考えました」。家族は当然反対しました。言い争いになった後で、父親は最後に「お前の人生はお前が決めることだ。俺はもう知らない!」と言ったそうです。
実際に左官をやってみると非常に難しかったそうです。またこんな笑い話もあります。ある日、班長から、とても身なりが綺麗過ぎて仕事をする人間には見えないと言われた彼は、次の日からは仕事に入る前に作業服を靴で踏んで汚したそうです。半年後、彼は一連の技能とプロセスを覚え、班長に昇格しました。
「人を使うようになってからまだ数年しか経っていませんが、内装業はなかなか良いと思っています。屋外はとても寒く、冬には手が凍りついて裂傷が絶えませんでした」、そう彼は言いながら両手にできた傷跡とタコを見せてくれました。
「家を買うということは人生においてとても大きなことです。現在、家を買うことは簡単ではありません。内装に対しても一定の品質が必要となります。家を購入した家族にとって、内装を”まあまあ”で済ませることはできないのです」、新しい案件にとりかかる時、彼は必ず従業員に対してこの話をして聞かせるそうです。
現在、孫俊峰のチームは上海の内装会社と組んでおり、毎月20以上の案件を獲得し、売上高は100万元(約2,000万円)を超えるそうです。しかし、今でも他人に驚かれることがあるそうです。「北京大学修士課程を出て左官屋になって、出世もせずに、家の金を全部使ってしまった」言われ、満足気に帰っていく人も少なくありません。この事に触れた時、彼の表情は複雑でした。彼にとって唯一嬉しいことは、家族が彼の選択に対して徐々に理解を示してきていることだそうです。
「内装左官を手掛けるこれらの家、私は買うことはできません」と言う彼は苦労して稼いだお金を家族の住宅環境の改善や、設備の購入などに充てているとのことです。彼もまだ起業の初期段階、毎日鏡に向かって「必ず大きいことを成し遂げてやる、他人の意見には惑わされない!」と自らを鼓舞しています。北京大学卒の秀才にとっての意地がそこにはありました。
編集後記
中国の学力競争が激しいことについては当サイトでも多く取り上げてきましたが、最高峰とも言える北京大学の院卒の学歴をもってして、内装左官業に自ら入っていくのですから、相当に変わった人です。彼の考え方、”体制に合っていない”、”職人は自由だ”という考え方、日本の職人さんも同じような考え方の人も多かったのではないでしょうか。職人魂というのは世界共通ですね。完全に”逆張り”を行く彼の未来には、何が待っているのでしょうか。