中国の美男美女の20代カップルが大学院・フランス留学を蹴って養鶏場で起業

 

愛情養鶏場

 

愛情の力はそれほどまでに強いものでしょうか?一緒にいられるということだけで、1人は大学院生となるチャンスを、もう1人はフランスへ留学するチャンスを放棄し、出身地に戻り養鶏場を立ち上げました。

 

富興鎮の山麓にある50ムー(中国の土地の単位)の小さな土地には鶏などが3,000羽飼われています。この農場の所有者は”90後(1990年代生まれ)”の大学生カップルで、男性は彭雨と言い2014年に大学院生となる機会を自ら放棄、女性の名前は戴滢という名前で、同じくフランスへ留学する機会を諦めました。

 

2人は両親のサポートと在学中にアルバイトをして貯めたお金を合わせて50数万元(1,000万円以上)を投資し養鶏場を立ち上げました。「2014年11月に商売をスタート、3ヶ月間で既に50万元(1,000万円)を売上ました。」好調な滑り出しに、2人は自信満々です。「2015年中に1万羽まで増やして、売上も200万元(4,000万円)まで伸ばしたいです。」

 

目の前のチャンスを放り出して故郷で起業した90後カップル

四川省德阳市中江県富興鎮、徳中路を100mほど歩いたところに2人が開いた養鶏場があります。この養鶏場、元々田んぼだったものを鉄柵で囲んだだけの簡単なものです。敷地内には以前農民が植えた樹木が残っており適度な木陰を作っています。山に近い場所に位置しており、隣には菜種、小麦、ほうれん草の畑が広がっています。

 

「あそこにいる鳥は既に買い手がついています。」彭雨は養鶏場の一角にいる100羽くらいの鶏を指して話ます。面白いのは、飼われている鶏たちの目には小さな赤い板が取り付けられていることです。「これは鶏のメガネです。放っておくと喧嘩ばかりするので。」ここで飼われている野鶏、人が入ってくるのを見ると激しく威嚇して飛び上がり、天蓋がなければ飛んでいってしまうそうです。全部合わせて約3,000羽、多い時では6,000羽ほどいたそうです。そして、この養鶏場のオーナーは”90後”のカップルで、1人は卒業したばかり、もう1人はまだ大学生です。

 

「私は西南大学の動物科を2014年に卒業したばかりです。彼女は四川外語学院フランス語科の学生で2015年の6月に卒業します」と彭雨は説明します。2人とも地元の徳陽出身で高校の同級生でした。二人は愛し合っていたので、一緒に重慶の大学に進みました。卒業後も一緒にいたいので、彼は大学院進学、彼女はフランス留学という大きなチャンスを諦めました。

 

「クラス全員で28人、その内3人がフランス留学に行く権利をもらえます。私はその中の1人でした。でも、何年も離れて暮らすことはどうしても嫌でした。そこで2人でよくよく考えた結果、故郷に戻り養鶏場をやることにしたんです。家族は応援してくれました。私がフランス留学に行くために必死で貯めたお金を起業資金として回してくれたのです」と戴滢は説明してくれました。養鶏場の名前は”愛苜生態農場”。”愛苜”はフランス語の”Amour(愛)”の発音と、大量の”苜”蓿草(牧草)を鶏たちのために植えるところから採ったとのことです。

 

農場風景

 

愛の中で生まれた起業、カップルは鶏を育てる中で成長

彭雨は大学在学中に農場で実習を行いました。ある農場は、彼が大学を卒業した後で農場長として迎え、月給は1万元(20万円)、住居も提供するという条件を提示しました。しかし、彼は自分自身で起業することを選びました。「人のためにやるよりは自分でやった方が一生懸命になれます。また、自分で起業した方が自由ですよね」。

 

2014年3月、家族や親戚の助けをもらい、荒れ果てた土地の中に養鶏場を建設しました。彼らが立てたレンガ造りの部屋の周りには、ボロボロの土づくりの家があります。大事に大事に育てられた”90後”の彭雨がこの荒れ果てた土づくりの家に何ヶ月も住んでいたと想像できる人は多くないでしょう。

 

「養鶏場を作った後、上海からひよこを手に入れ、敷地内に放した後はずっと養鶏場の中にいました。気づけば髪の毛が口のあたりまで伸びていました」。戴滢は当時まだ大学三年生で授業に出る必要があり、なかなか養鶏場に来ることができませんでした。また家族や親戚もそれぞれの仕事で忙しく、戴滢の父親が定期的に食事を持ってきてくれる以外は、全て彭雨が自分ひとりでやってきたそうです。また、食事についても自炊をすることが多かったとのことです。

 

彭雨曰く、養鶏には忍耐心が必須だと言います。開始して半年の間、夜に雨が降ると鶏たちが風邪を引くのを防ぐために、小屋に入れてはみるものの、すぐに飛び出してきてしまう具合で、結局徹夜で鶏小屋につきっきりということが少なくありませんでした。

 

「当時は本当に気が狂いそうでした。一晩中鶏を見まもるんですから。特に野鶏は雨が振っても小屋に入らないので、一羽一羽捕まえて小屋に入れていました」と彭雨は言います。大学生の頃は本当に気ままで、ベッドに転がってネットを見たり、友人たちと一緒に服を買いに行ったり、食事をしたり、外に出たくなければ電話で出前をとることができました。しかし、ここでは蚊に刺され、ボロボロの部屋に住み、寝ることもできず、自分で食事を作り、一日中鶏と向き合う毎日、服も汚くボロボロでした。この落差は心理的には相当堪えたそうです。

 

しかし、愛情と事業を二人は信じ続けました。この一年間で2人の90後は成長しました。「以前、彼女は家事をすることができませんでしたが、今では何でもできるようになりました。食事についてもより好みすることがなくなりました」、彭雨は彼女のことを賞賛します。そして彭雨自身も元気だけが取り柄だったのが、今では心理面も非常にタフになっています。

 

今風の二人

 

今年の売上目標は200万元(4,000万円)

「実際、私たちが養鶏場を始めたばかりのころ、村民に会うたびに、こんなに若いまだ大学生の若者が都市で仕事をせずに農村に戻って養鶏場をやるなんて、食べていけるの?と聞かれました」。しかし、8ヶ月間の努力により彭雨は証明しました。「私と戴滢の父親はオート三輪に乗って30羽の野鶏を市場で売り切りました。このことで皆の注目を集めることはできたのですが、一部の人は、あいつは国家保護動物を売ったと言う人も出る始末でした」。

 

30羽の野鶏を売ったことで2,000元(40,000円)の手に入れた彭雨は達成感を得ました。その後、彭雨は徳陽の一連の展示即売会に顔を出し、毎日必ず10羽を低価格で特売し、消費者の注目を集めました。鶏を販売するだけでなく、卵も販売しました。2ヶ月前には卵の生産量が拡大したにも関わらず販路が見つからなかった二人は街なかの路上で販売しました。

 

「彼は竹の籠に卵を入れて、私は野鶏を抱きかかえて、街の広場に行きました」、2人の若者は今風のファッションで繰り出し、広場の注目を集めました。見ただけでは農村から来たとは分からず、詐欺と疑う人もいました。しかし、彼らが運んできた200個の卵は飛ぶように売れました。

 

二人とも若いため、小売店からの信頼を得ることはなかなか難しく、彼らとビジネスをする小売店は今でも非常に少ないのが現実です。「今年は1つのホテル、4つの柴火鸡(鶏料理)店に商品を提供する予定です」。彼らが今一番力を入れているのが微信(wechat)を使って小売店との関係を構築し、知名度とブランド力を上げることです。結果として、2015年の売上目標を200万元(4,000万円)としています。

 

この他に彭雨は、養鶏場の隣にあるほうれん草農場を整備して、あるプロジェクトを実施することを計画しています。「都会に住む人達がここにやってきて、養鶏、卵の検査、収穫を行い、柴火鸡を一緒に食べて農村での暮らしを体験することができるサービスです」。

 

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