時間が遅く進む2016年を、未来を歩んでみませんか?

時空

一年はあっという間ですか?

自分はNRIで駐在員として中国に住んで仕事をした頃、当時32歳頃でしが、その頃から一年を速く感じたことは全くありません。この感覚は日本に帰って来た後でも感じ続けているので、中国の時間が日本と比べて速く進んでいるという訳ではなさそうです。

 

自分と接している知人・友人であれば良く知られていることだと思いますが、他人から見た時に僕はほとんど何も覚えていないように、過去に執着していないように見えると思います。また、僕は本を読むことが好きで、最近なかなか時間が取れず残念に思っていますが、本を読んだ瞬間にその本の内容について忘れていることが多いです。

 

他のすべての人と比べた訳ではないので、未検証かつ自分の意見に過ぎませんが、自分にとっての過去とは、現在の自己と対象との関係を引き出すためのひとつの要素でしかありません。モノを含めた他者の詳細を正確に理解することにあまり関心はありません。ここまで書けば、寺村は他者に興味が無いんだなと思われることでしょう。

 

弁解するつもりはありません。自分は、他者について多くの細部を理解するということよりも、その瞬間に見えた他者の細部を見て感じたことから、他者の感情やロジック、生き方、その背景にあるストーリーを・・・、自己との相対的な位置付けに”置き”、他者の座標から自己を確認することにより認識するという処理をしていると思っています。

 

話がそれているように思われますか?そうかもしれません。

自分は、上記のような他者との関わり方をするが故に、現実の一瞬一瞬で他者と関わる時に最大限のパワーを使います。相手の自己へ、自分の自己をぶつける作業をします。そういうことを毎日毎日続けています。失敗もあります。「なんで初対面なのに、あなたにそこまで言われる必要があるんですか?」と言われることもあります。相手の自己を触りにいった結果、相手が思い出したくもないことに行き着くこともあるからです。

 

そういうことを毎日続けていると、1秒1秒の時間が非常に濃縮され、結果として他の人が「時間が経つのが速い」と話していることを聞いて、自分を振り返ると全くそう思えないのです。自分には過去から現在という時間の流れが、自己を確認する座標軸の中にある、いくつかのポイントとそこにある熱量(重量?)みたいな概念となっており、一方向に流れるものとして実感できないのです。アインシュタインが言う時空の歪みを表す図のイメージです。分かる人いらっしゃいますか?

 

技巧的に成熟すると時の進みは速くなる

さて、ここからはもう一方の概念です。「時間が経つのが速い」という意見はよく聞きます。自分の周りでもそういう話はよく聞きます。僕はその感覚が全く分からないのです。「時間が経つのって速いよね」とか、「歳とってくると本当に一年あっという間だよね」という話をされても、「え、全然そう思わないし、むしろ遅いとすら感じるよ」って返すことが多いです。

 

なぜ、感覚が違うのか?という質問について僕は正確な答えを持っている訳ではありません。また、これは「良い、悪い」の二元論でもありません。但し、自分の経験から、30歳を過ぎたあたりから時間に対する考え方が変わったので、そこはヒントになりそうです。

 

30歳前くらいの段階で、自分はNRIの中で全能感に満たされていました。「ああ、何でもできるな」、「もう覚えることはないな」、「だいたい道も見えたな」と思っていました。今思えば甘いと思うところもありますが、実際にそうだったんだろうなとも思います。当時の自分には、経営コンサルティングの仕事を”こなし”たり、顧客の心を”取り込む”ことについての技巧は一通り身につけていました。

 

一方で、限界も感じていました。プロジェクトとしては面白い取り組みで、後からメンバーに話を聞くと、非常にためになった、成長できたというコメントを頂いたものでも、結構冷めて見ていた自分がいました。ボヤっとはしていましたが、日本の経営コンサルティング業界が行き着く先みたいなものも見えました。そして、それは自分が望んでいたものとは異なる世界でした。そう実感しつつ、技巧的に成熟していたので仕事はそつなくこなしていけました。結果、時間はもの凄いスピードで過ぎていったのです。

 

今思えば、自分の技巧的な成熟って小さな話です。それは既存の社会や企業の枠組みの中での技巧であって、自分のオリジナリティがそこにはほとんど無かったのです。

 

既存の社会は都合よく技巧的であることを求める

少し飛躍してもいいですか?

既存の枠の中で技巧的であればあるほど自己は薄まり時間は速く過ぎ去るようになります。しかし、既存の枠をはみ出て創造的であればあるほど自己は濃厚なものとなり時間はゆっくりと過ぎ、平面・空間的な捉え方に変わるのだと思っています。

 

既存の枠の中にすっぽりハマっている時点で、自分は必要ありません。そこには型がありますから。技巧的にピタっとハマればハマるほど、自己の確認作業は必要なくなり、無意識的に他者の人生を生きることになります。脳は直接的に五感から感じたものを動作に繋げることだけの処理を始めます。シナプスへの刺激量は減り、脳の活動量も下がり、相対的に時間は速く感じられます。

 

一方で、創造的であろうとすることは大変です。創造するというのは世の中の型からはみ出して外に出るということなので、否がおうにも自己との対話が必要になります。自己を確認するのは、他者との対話ですから、既存の他者と異なる他者と出会うことによる自己の再構築という作業が必要となるからです。今までの自己と、今現実に向き合っている他者、すなわち新しい自己との間には矛盾も衝突も発生します。そういう作業を繰り返すことで、今までに無いものが産まれるのです。男と女という全くことなる生物個体から子どもが産まれる過程は最たるものかなと思います。脳は非常に忙しく、時間の流れは、自己再構築の作業負荷と相対化されて、結果として薄まってしまいます。

 

常識を疑うこと

僕は人の言う常識ってのが本当に嫌いです。人に押し付けられる常識ほど意味のないものって無いと思っています。そういう意味で、根はアナーキストなんだと思います。「常識的に知っておいた方が良い」とか、「常識的にはこうするもんじゃない?」というアドバイスは自分も嫌いですし、自分が他人にするのも非常に嫌いです。だから、自分は他人に対して断定的な物言いをほとんどしていないと思います。森羅万象が移ろいゆく中で、他者との対話による自己再構築の作業以外、自分を他者を確認する術なんてないのです。

 

32歳で志願して中国へ行き、社長や役員に直談判して副社長に上げてもらい、その後自らの意思でその地位を捨て日本へ帰り、外資系コンサルに入るも5ヶ月で辞めて独立し、全く畑違いの飲食店のオーナーとなり、現預金ゼロのどん底から独立して再び事業を再構築したのが昨年でした。32歳以降の自分は時間が止まっている、というか、概念が変わってしまいました。僕のことを見た人は「40歳?若いですね?」と良くいいますが、そういう時間概念の捉え方、それをもたらした行動が影響したのかなとも思います。

単に中二病なんだということもありますけど(笑)。

 

現時点での2016年について

という訳でどうなるか分かりません。が、安定しては壊していくと思います。なんとなくおぼろげに思うキーワードは、Groo Inc.の人数が大幅に増える、地方との関わりが増える、新しい場所の獲得に繋がる、というあたりです。多分、実現すると思います。なぜなら、こう考える自分自身を確かめるために、上記の要素を持つ他者に対してどんどんぶつかっていくことになると思うからです。

 

皆さんも今年は時間を遅くしてみませんか?

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

シュタインズ;ゲートを見た影響で書いた・・・かも。