”消費型”だけでは本質を見失う日本へのインバウンドサービスについて

 

メルマガに載せた文章を再構成して1日遅れで載せます。日本の地方都市とインバウンドについての考察、というか雑感です。今回の2泊3日の城崎温泉の旅で思うことが色々とありましたので書き連ねてみました。

 

2015-05-05 07.51.13

 

ゴールデンウィークということで思い立って今まで一度も来たことがない城崎温泉を2泊3日で訪れて、素晴らしい”体験”をすることができました。最終日、城崎を離れる今日、志賀直哉が愛し、逗留し、”城の崎にて”や”暗夜行路”でも舞台として使われた老舗旅館”三木屋”の当主、片岡さんとご縁があってお部屋を見せて頂きつつ、城崎温泉の成り立ちや、他の温泉街と比べた強み、そして今後について色々とお話を伺うことができました。

 

三木屋さんの玄関を上がったところ。ロビーが見えます。向かって右横にはカフェスタイルのライブラリがあってこの雰囲気の中、ゆっくりと本を読むことができます
三木屋さんの玄関を上がったところ。ロビーが見えます。向かって右横にはカフェスタイルのライブラリがあってこの雰囲気の中、ゆっくりと本を読むことができます

その強みを一言で言えば”引き算”による運営です。城崎温泉には古くからそれぞれの旅館の中にある温泉、いわゆる”内湯”の大きさを、旅館のサイズに合わせて必要以上に大きくしないように街の中での取り決めがあるそうです。また、小川が流れる温泉街には地形的なものもあってか、昔から数十部屋以上ある大型の旅館はほとんど存在しません。結果として、宿泊客たちは7つある”外湯”を巡って街へ繰り出します。外湯には外観や露天の雰囲気に特徴があってそれだけでとても楽しいのですが、外湯を巡る際に街を巡り歩くことになり、それがまた楽しいのです。

 

熱海に代表される昭和からバブル期にかけてブームになった温泉は、大型の旅館が中心で、新幹線や大型バスで乗りつけ、その中でコンパニオンを呼んでどんちゃん騒ぎをして、外に出ることも無く、すぐに帰るのが普通です。自分がサラリーマンをしていた時にもこのような利用の仕方をしていました。結果として、旅館の外にあるいわゆる街の小さなお店は潰れ、廃墟が点在し、街としての魅力がなくなっていきます。そのため、ブームが終われば人は離れていってしまうのです。

城崎から京都までの帰りに途中下車した福知山駅前、郊外型大型店による発展をしているそうですが、あまりにも寂しい風景でした
城崎から京都までの帰りに途中下車した福知山駅前、郊外型大型店による発展をしているそうですが、あまりにも寂しい風景でした

 

城崎温泉の街をぶらつくと良く分かりますが、小さな面白い店がたくさんあります。冷やかして歩くだけでもとても楽しい。シンプルで過度な装飾をしない小さな旅館と小さな内湯、それぞれが特徴を持つ7つの外湯、そして軒を連ねる小さなお店。城崎温泉にある飲食店以外の小さなお店は、17, 18時くらいから2時間ほどお店を閉めます。街の人々も皆生活をしているのです。その人たちも食事をして、決められた外湯に100円で入浴するそうです。そして、宿泊客たちが夕食を終えて街へ繰り出した時に再びお店を開けるのです。街にきたとたんに生活感を感じたことにはこういった理由があったのだと分かりました。

 

城崎温泉は、温泉バブルが弾けた後でも客足の減少が大型温泉街と比べて少なかったそうです。今までは関西の温泉宿として知られ、主に冬のズワイガニシーズンに宿泊客が来るという位置づけだったそうですが、今後は関東からの宿泊客を惹きつけ、4月の桜、6月の蛍という7月の花火というように、しなやかに長い視点でプロモーションをかけていくとのことです。

 

片岡さんの言葉で印象深かったのは、「僕らの孫の世代まで小さなお店が存続していくことを考えてやっています」、というものでした。街全体としてビジョンを共有し、長いスパンで物事を考え、流行りに飛びつかず、目の前に脚元にある素晴らしいモノ・コトをしっかりとプレゼンテーションし、サービスとして提供していく。そういった”引き算”の理論がそこには働いていました。素晴らしいと思いました。

 

”城崎国際アートセンター(KIAC)”の入り口ロビー、広々としていて所々に遊びが入ってます。屋台のように見えるのは本棚
”城崎国際アートセンター(KIAC)”の入り口ロビー、広々としていて所々に遊びが入ってます。屋台のように見えるのは本棚

上記の写真は”城崎国際アートセンター(KIAC)”で、僕の約20年来の友人である田口さんが2015年4月から館長をされている施設です。以前は、県の施設だったものを城崎が属する豊岡市が半ば強制的に買い取らされ、労働組合の大会などあまり稼働しないイベントに頼った集客で苦労されていた中貝現豊岡市長がアートセンターにする構想を思いつき、2014年から新しく運営が始りました。館長の田口さんに色々とお話を伺うことができましたが、ポイントは”アーティスト・イン・レジデンス”。要するに、単発のアートイベントを開催するための施設ではなく、数週間アーティストに滞在、生活をしてもらって”創作をする場”なのだそうです。アーティストは24時間この施設を無料で使用することができ、かつ城崎温泉にも浸かることができ、その充実した環境の中で”KINOSAKI発”の作品を創ることにより、長いスパンで城崎のブランドに貢献していくという形です。

 

現在、中国人を中心とした”爆買い”に焦点を当てて、インバウンドでお金を稼ごうという動きが国を上げて”ようやく”盛り上がってきました。東京都心部でも免税店を掲げるお店が増えてきました。しかし、そこに”引き算”の論理はあるのでしょうか。日本の良さは、人々がお互いに阿吽の呼吸で協調して長い目線で、シンプルなモノ・コトを提供するところにあったと思います。大前提として自然に対する感謝や、目の前にある美しいモノやコトに対する感謝の気持ちがあったと思っています。今のインバウンドの盛り上がりは、そうした日本が昔から持っている強さとは程遠いところに重きが置かれているような気がしてなりません。

 

”三木屋”と”城崎アートセンター”にはその他にも共通点があります。それは”外の人と一緒に生活をする中で何かを創り上げる”というプロセスです。志賀直哉は城崎の人ではありませんでしたが、”湯治”を目的に最大で”三木屋”に3週間滞在し、そこで”城の崎にて”や長編代表作である”暗夜行路”を書き上げました。”城崎アートセンター”には国内外から多くのアーティストが訪れ、滞在・生活し、新しい作品を創作します。長いスパンでの外との融合による新しいモノやコトの創造。インバウンドの本質は正にここにあると思っています。一時的な消費は”熱海モデル”をつくり出すだけであり、ブームが終われば落ち込みも激しい。しかし、このモデルは内(地元)の生活に密着したかたちでモノを創り続けることができます。”城崎アートセンター”の田口館長が使っていた言葉で「”関係人口”を増やさなければならない」というものがありました。城崎に何らかの形で”関係”する人間の数がその街の魅力を決めるという考え方です。本当にその通りだと思います。

 

寺村が”爆買い”に代表される一時的な”消費”にあまり興味が無く、留学生や研究者などのインバウンドソーシング、教育にベクトルを向けていることの根底を城崎温泉にて再認識することができました。もちろん、”消費”型インバウンドもしっかりとやっていくべきですが、そのベースとなる人の融合をもう一方で考えていく必要があるのではないかと強く思い、実行に移していこうと決意を新たにしました。長文、失礼致しました。

 

三木屋
城崎国際アートセンター(KIAC)
同Facebookページ
こぢんまり(今回お世話になった宿)

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