110歳の誕生日を迎えた中国漢語ピンインの父、周有光のコスモポリタン人生(最終回)

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トイレの現代化から見る中国と海外の区別

周有光にとって、「現代化」はずっと追い続けたテーマであったことは疑いの余地はありません。彼のリアルな経歴を例とすれば、トイレの現代化の話が挙げられます。この話は強烈です。

1969年11月に、63際になった周有光は「反動的な学術の権威」ということで、寧夏省の平羅にある「国務院直属平羅57千校」に「下郷(思想改造のために田舎に強制移住させられる文革の取り組み)」することになりました。北京に帰任となるのは1972年のことです。

この57千校には、北京式の汲み取り型ボットン便所(穴)があり、自らトイレットペーパーを持参する形式のものでした。寧夏平羅には基本的に紙というものが不足しており、トイレットペーパーにおいては言わずもがなでした。57千校のリーダーたちは会議を開き、この状態のままでいいのかを議論した結果、全ての福利厚生費を集めて、麦から作ったトイレットペーパーを生産するための設備を購入することを提案しました。この建議は歓迎を持って受け入れられ、上海に1人を出張に派遣しました。そこで6台の工場設備を実験的に購入し、持ち帰った後で、工業紙の生産に成功しました。この工場で製造された紙の品質はとても良く、トイレットペーパー用だけでなく、ノートなど文具用の紙にも使われるようになりました。周有光によると、80年代までずっと、寧夏省ではこの工場で作られた紙が使われていたそうです。

1986年、日本から大修館(ジーニアス辞書などで有名)と朝日新聞社が共同で学術会を開いた際に、周有光を東京會舘へ招待しました。東京會舘の隣には、新築のビルがあり、設備は非常に研究されており、部屋の中には当時の日本で最先端の設備が備え付けられていました。全ての部屋には同じ設備が取り付けられており、とりわけトイレは全て自動化されていました。

「改革開放」後、全国政治協商会議(中国共産党や各界の共闘組織)は、新たな政協委員を加えました。その名を做郭布罗·润麒と言い、彼は末代皇后である婉容の弟でした。政協委員会が行われた際に、做郭布罗·润麒は検討小委員会の中で中国には現代化が必要であり、トイレですらその必要があると発言しました。彼は、日本では国家が資金を投じてトイレの便器の進化について研究をしていると言うのです。便器が日本で大事になっているのは、旧式便器は水を無駄に使う問題を解決するためで、新式便器はそれほど多くの水を使わずに、空気を抜いて圧力を作ることにより汚れを流すもので、その上臭いもしないというものでした。だからこそ、トイレの現代化は、文明の発展において重要なものであるとの認識でした。周有光は1949年前に日本、アメリカ、欧州へ行き、改革開放後はより頻繁に海外に訪れていました。その目的は、アメリカ、ヨーロッパ、日本の経済発展や物質文明の進歩を見ることでした。彼はその見聞により、「トイレは現代化における一つの重要な指標である」と見ていました。

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世界の視点で中国を見る

視野を広く、とりわけ世界各国への理解を深めることで、周有光は世界の視座を持つに至りました。現代科学技術、経済発展に関する彼の視座からの論旨には非常に説得力がありました。理性的かつ簡潔、そして人間主義をもった彼の考え方は、以前のいわゆる知識分子の周有光の思想に対する注目を惹きつけ続けました。「コスモポリタン(世界公民)」とは彼自らが称した定義ですが、世界主義に光を当て、中国思想界において、唯一無二の存在となりました。

1988年12月31日、82歳になった周有光は退職の年齢となりましたが、依然として仕事を続けていました。しかし、3年後にその仕事場も離れ、自宅を仕事場とするようになりました。2014年3月、彼は「85歳になっていつものオフィスから家に帰り、仕事をすること、思考にふけることが自分の生活における最大の楽しみになった。私は、以前より一層中国の発展とその方向について関心が強まりました。特に、変わり続ける社会環境に関心がありました。私は退職後、私自身が自分のやり方を貫くことこそがコスモポリタンとしての責任です」と話しました。

まさにこの責任感によって、85歳以降も彼は思考を止めるのをやめず、人文科学、人類の発展における規律などマクロな問題を研究し続け、学術的、世俗的な文章は書籍を大量に執筆しました。100歳になると、彼は「百歳新稿」を出版し、104歳で「朝聞道集」を、105歳で「拾貝集」を出版しました。

これらの文献は、「世界から中国を見る」という彼自身の一貫した視座から書かれたものです。彼は中国の歴史と現実を類推しました。これは次の5文献に書かれています。「走進全珠化」、「伝統と現代」、「読史散編」、「百歳憶往」、「語文と文明」です。

周有光の見る世界

「グローバル化について」

周有光が106歳で出版した文献の中に、「人類社会の発展はある集まりが常に前進し続けることです。村落から都市まで、都市から国家まで、国家から国家連合まで、国家連合から世界まで、そしてその先にはグローバル化があります。」、「農業の時代、グローバル化はありませんでした。工業化の時代、国際貿易の拡大を受けて、グローバル化が始まりました。情報化の時代、ITが各国の境界線を超え、グローバル化は加速しました。」

「西洋化の問題について」

周有光は、「漫漫”西化”(ゆっくりと西洋化)」という著作と、「群言」という雑誌の中で、「文化は水のようなもので、流体であり、固体ではありません。常に高いところから低いところに流れていきます。堤防を作ってせき止めようとすれば、堤防は崩れます。文化には命があります。栄養を与え続けなければ、老化して死に至るのです。古い文化を載せた揺りかごはもうなくなってしまいました。ただ、中国という国があるのみです。文化には磁性があります。海外の文化には引力があり、斥力があります。迎えることもあるでしょうし、拒むこともあります。それは主観的、客観的な要素から決定されます。文化には人間の側面もあります。健康、病気、ある種の奇形もあります」と謳い、読者から非常に高評価を受けました。

「伝統文化について」

周有光はユーラシア大陸における、ヨーロッパ、西アジア、南アジア、東南アジアの伝統文化を比較して、次のように述べています。「現代文化は産業革命後に自然に新しい事実を作ることになりました。多くの人々が科学についての存在と意義について明確な答えを見つけられていません。中国は長期間、封建社会でした。それは古い時代を尊び、新しいものを否定するものです。文化とは固有のものです。東方と西方は両立しない、資本主義が社会主義を圧倒するのではなく、社会主義が資本主義を圧倒する。時代は変わりました。こういった概念は変える必要があります。現在において、中国文化が21世紀を統治するなどと言うことは、極めて可笑しな話です。

21世紀を統治するのは社会主義ではありません。そして、資本主義でもありません。世界で共有できる現代文化なのです。

語録

グローバル時代、全ての国における文化は2つの側面を持っています。ひとつは、世界で共有可能な現代文化です。そしてもうひとつは国によって異なる伝統文化です。現代文化には、自然科学と社会科学、そして現代生活を営むもの、すなわち電灯や電話、テレビ、コンピューターなどが含まれます。伝統文化とは、文学、歴史、哲学、そして芸術や宗教を指しています。宗教は伝統文化の中でも重要な構成要素です。宗教は現代文学の中に位置づけられ、排斥されるべきものではありません。宗教は世俗的な制度では対応できないことに対応できるのです。例えば、道徳による教えと、人格の昇華などです。しかし、宗教が政治をコントロールすると、社会の進歩は必ず止まります。伝統的宗教は大事に尊重されるべきです。しかし、世界の平和と人類の進歩を止めるものであってはなりません。宗教による過度な干渉が起こると、歴史の衝突を避けることができません。歴史の歯車を戻すことはできません。宗教は来世において施しを行う以前に、現世において施しを行います。人間は、世俗社会がどれだけ美しいものを生み出すことができるかを知ることにより、天国は更に一点の曇りもなく素晴らしい場所であることを知るのです。これこそが、宗教の現代における意義です。(「伝統宗教の現代における意義」より)

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