中国第一汽車のトップが党規律違反で事情聴取 | 徐建一董事長の経歴と事件の背景

中国第一汽車集団(中国第一自動車グループ)の董事長で、共産党党委員会書記である徐建一氏が2015年3月15日に共産党の重大規律違反の疑いで拘束され取り調べを受けることになりました。彼の経歴と仕事ぶりを簡単にまとめました。


徐建一の経歴

  • 1953年12月:山東省福山生まれ(江蘇省南京市戸籍)
  • 1972年5月:吉林工業大学(現:吉林大学)自動車系入学
  • 1975年12月:中国第一汽車製造廠汽車研究所シャシー設計科エンジニア
  • 1988年2月:米国ETA、フォード客員研究員
  • 1990年10月:長春汽車研究所シャシー設計一室主任
  • 1992年2月:長春汽車研究所総合企画調整室副主任、超軽型設計研究部副部長
  • 1994年5月:第一汽車集団シャシー廠副廠長
  • 1995年6月:第一汽車集団副総調整長、一汽ワーゲン副総経理
  • 1996年1月:第一汽車集団総調整長
  • 1996年12月:第一汽車集団副総経理
  • 1999年2月:第一汽車集団常務副総経理、当委員会常務委員
  • 2000年10月:第一汽車集団常務副総経理、当委員会常務委員兼長春一汽四環董事長
  • 2003年7月:第一汽車集団常務副総経理、当委員会常務委員兼一汽轿車董事長
  • 2003年11月:吉林省人民政府党組成員、省長助理
  • 2004年12月:吉林省人民政府党組成員、省長助理兼吉林市委員会副書記、市長代理
  • 2005年1月:吉林省人民政府党組成員、省長助理兼吉林市委員会副書記、市長
  • 2006年9月:吉林省人民政府党組成員、省長助理兼吉林市委員会書記
  • 2007年5月:中国共産党吉林省常務委員、吉林省委員会書記、吉林市人民代表委員会主任
  • 2007年12月:第一汽車集団総経理、党委員会副書記
  • 2010年12月:第一汽車集団董事長、当委員会書記
  • 2013年4月:第一汽車集団董事長、第一汽車股份董事長、当委員会書記
  • 2015年3月15日:重大な規律違反の疑いの調査対象に

徐建一

2013年5月時点での記事より

2013年4月11日一汽轿車(第一汽車集団傘下の乗用車製造子会社)の第6次董事会第4回会議の場で業務の調整の理由から徐建一は一汽轿車の董事と董事長の職務を辞し、一汽轿車のいかなる業務からも手を離れることを発表した。しかし、徐建一は第一汽車集団(ホールディングカンパニー)の董事長であり、第一汽車有限公司(ホールディング傘下の自動車製造会社)の董事長であることに変わりわない。「徐建一が集団会社の一子会社のトップを辞したことは単なる職務上の要件だけではなく、第一汽車集団のグループ会社全体としての上場に大きな関係があります。」と中国自動車協会の専門家は記者に語った。

2014年に60歳になる徐建一の身長はそれほど高くない。1998年9月にオランダのマーストリヒト・スクール・オブ・マネジメントを卒業し、第一汽車集団の副総経理、吉林省省長助理、吉林市副書記、吉林市市長、吉林市委員会書記などを歴任。2007年12月に竺延風に変わって第一汽車集団の総経理に選出され、2010年12月から現在(※この時点で2013年5月)まで第一汽車集団の董事長を務めている。総経理の時代から含めれて第一汽車集団の舵を取ってきた5年間は、第一汽車集団にとって天変地異とも言える変化を乗り越えてきた。

近年、第一汽車集団は中国自動車業界の歴史上空前とも言える大規模な自主開発モデルを創出。100を超える車型を持って「中国創造」の概念に命を吹き込むことを発表した。直近で、中国商用車業界で最高レベルの”解放J6”トラックが国家科学技術大賞を受賞。建国60週年の式典では”紅旗(第一汽車の高級車)”が、人民解放軍の調達では”解放”トラックが唯一選ばれている。ここに至る過程において、第一汽車集団は、エンジン、トランスミッションなどの自動車開発のコア技術229項目について、1,668件の特許を獲得。第一汽車としての自主開発ブランド(トヨタ、フォルクスワーゲン、アウディ、マツダなどとの合弁ではないもの)の年間生産台数は100万台を超えた。CCTVは第一汽車集団の董事長であり、当委員会書記である徐建一に話を聞いた。

インタビューの中で徐建一は、自主ブランドは第一汽車のコア事業であると答えた。現在第一汽車集団の製品ラインナップは国内企業の中でも非常に充実している。これを基礎として、商用車については”解放J6”シリーズから手をつけ、”解放J7”製品の企画を進め、乗用車では全てのクラスで製品の開発を進めている。第12次五カ年計画の期間で、第一汽車集団として投入する商用車と乗用車の車型は149に上り、その半数は自主開発ブランドによるものだと言う。

徐建一の前任者である竺延風は徐建一について、「私たちはお互いに長い間仕事を一緒にしてきたので本当によく知っています。徐建一同志が第一汽車集団の第10次五カ年計画期間の国有企業改革プロジェクトの中で発揮した貢献は非常に大きなものです。彼は人について公明正大です。更に、豊富なリーダーとしての仕事の経験と、組織マネジメントの能力を持っています。彼が今の立場で素晴らしい成果を上げることを確信しています。」と述べた。


 編集後記

第一汽車集団は中国で最も古い自動車メーカー(二番目は東風汽車)で、日系でトヨタ、マツダ、欧米系ではアウディ、フォルクスワーゲンと折半合弁会社を設立し、中国のモータリゼーションをリードしてきました。そのグループトップが党の規律違反、要するに汚職の疑いで取り調べを受けるということはかなり重大な事件です。規律違反は共産党内部の政治闘争の側面が強いが故に、一度立件されれば白となる可能性はゼロです。何らかの処分が下されることになります。

コンサルティングの仕事をする中で、第一汽車と合弁をしたトヨタの方の話を聞いたことがありますが、もう一方の合弁相手の広州汽車と比べて第一汽車は官僚主義で非常にやりにくいという印象を持ちました。自主ブランドについても上海汽車などと比べて、なかなか立ち上がっていないというのが個人的な感想で、上記の記事で徐建一が自信満々で答える内容とはかなり異なった印象です。

徐建一

面白いのは経歴です。中国のいわゆるエリートの経歴の典型です。中国のエリートは企業と政治との間を行ったり来たりします。彼も自動車企業と吉林の省・市の政治的な仕事との間を行き来しています。色々な意見があると思いますが、中国の政治家が経済に精通しているのは、起業経験があるためです。また、中国の国有企業がダイナミックな動きができるのは、政界とのパイプが強いためです。今回はその繋がりの強さが政権交代の荒波に揉まれた形になっていますが、このようなリスクを常に中国エリートは抱えているということの現れです。良い悪いは議論の余地がありますが、このようなダイナミズムがあることは中国を見る上でのポイントになります。

もう一つは全人代の時期と重なっているということ。今回の全人代では国有企業改革が強いトピックとして挙げられており、その中のひとつのメッセージとしての色合いもあると思います。習近平が掲げる「腐敗妥当(打黒)」の一貫として、彼の政権基盤を揺るぎないものとするための施策であることは間違いないでしょう。

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