僕と一緒にグルーヴを創りませんか?真剣にメンバー募集!

 

groove

僕の原体験についての話です。スワンとは別で個人として書きます。かなり長文になりますが、自分の気持ちを込めたものですので、かつ自分としては今書かなければならないことでもありますので、私小説だと思って(笑)辛抱強くお付き合い頂ければ嬉しいです。

 

僕が今年40歳になるまでの人生の中で強烈な体験、”原体験”と呼べるものは3つあります。そして、その3つの中に共通して流れるのは”音(おと)”にまつわる高みの話です。

 

ひとつ目:フィッシュマンズ、下北沢

ひとつ目は下北沢を中心に回っていたレコードにまつわる生活です。その中での頂点は今は無き新宿リキッドルームでのフィッシュマンズのライブでした・・・。大人になるまでの生活の大半を茨城県で過ごしていた自分が12インチレコードを収集するきっかけになったのは”ツルモク独身寮”という漫画を読んだことで、ジーザス・ジョーンズのCDとクロスビートを土浦駅ビルの商業施設の”ウィング”で買ったことです。

 

その後、地元や柏でちょろちょろとCDを買うようになりました。”CD Junky”という当時で言うところの”ホームページ”を立ち上げ、黎明期のインターネットを通して、住んでいた牛久や通っていた土浦という場所の制約を抜け出します。丁度、ネット上で一人の女の子から彼女が厳選した曲が入った”ミックステープ”を送ってくれ、それがきっかけで新宿や渋谷のレコード屋さんに通うようになりました。

 

学部時代、早稲田の授業に出た記憶は殆どありません。夜に高田馬場へ行き夜通しで電話サービスのアルバイトをして、明け方にボスと一緒に新目白通り沿いのジョナサンへ行き、ビールを奢ってもらい良い気持ちです。その後、新宿へ繰り出し、”ラフトレード”や”ビニール”でレコードを買って常磐線に乗ってワクワクした気持ちで牛久に帰るという日々を過ごしましていました。

 

当時の東京のレコード屋さんはとにかく素晴らしかったのです。また、常磐線で通った下北沢のクラブイベントも田舎で育った自分にとっては本当に華やかで夢の様な世界でした。東京に住みたいという気持ちになるのも当然です。モラトリアムだった自分が大学院に進学するタイミングで、親の事情もある中でなかなか実現しなかった東京暮らしが実現し、思う存分音楽に囲まれて過ごす生活が始りました。

 

つるんでいた友達は一部の高校の同級生数人以外はほぼ全て自分よりも歳上でした。そしてバックグラウンドも趣味もバラバラ。編集者、デザイナー、ライター、ミュージシャン、アパレル系専門学校生などなど。その殆どがいつも、もしくはたまにタバコ吸ってました。まあ、ろくでもない感じなのですが、お酒とタバコと同じ”音”で共鳴できる友達がたくさんいる、そういう幸福感がありました。

 

佐藤くん

そんな生活の中で観たフィッシュマンズのライブ、もちろん佐藤くんがまだ生きていた当時、(たぶん)リキッドで見たライブの中で、僕の五感は全て持って行かれてしまいました。それくらいに凄まじいグルーヴがありました。”自分”というものがどんどん溶け出して、周囲との境界が曖昧になって、例えようのない程の恍惚感をもたらしてくれたのです。佐藤くんはその後、一足先に行ってしまいましたが、この空間的な印象は記憶の中でいつでも引き出すことができます。

 

 

ふたつ目:FC東京ゴール裏とアウェイゲーム遠征

ふたつ目はJリーグのFC東京のゴール裏です。2002年の日韓ワールドカップをきっかけに、地元のチームのゲームを一度見てみようという気持ちになり、当時の”東京スタジアム(現味の素スタジアム)”にFC東京の試合を観に行ったのがきっかけです。当日、バックスタンドから見た東京の青と赤に染まったゴール裏はとても綺麗で、密度が濃くて、そして少し危険な香りがしました。試合が始まる30分ほど前から総立ちになりチャント(応援歌)を歌い続ける光景に目は釘付けになりました。その次のゲームから、年間チケットを購入しゴール裏の一員となり、ゲーム中は自ら立ってチャントを唄い続ける日々が始りました。

 

僕はのめり込みやすいタイプで、東京スタジアムで行われるホームゲームだけでなく、アウェイのゲームの殆どに遠征するようになりました。首都圏はもちろんのこと、仙台、新潟、清水、磐田、名古屋、大阪、神戸、広島、丸亀、博多、大分、鹿児島などなど、あらゆるところに繰り出しました。

 

アウェイゲームに行くのは本当に面白い。当日、飛行機や電車に乗るところから心は踊り、ゲームで選手の背中を押すことはもちろんのこと、終わったら終わったでいつものゴール裏の仲間や、時にはアウェイサポーターに招待をしてもらってご当地の美味しい食事とお酒を楽しみつつ、日本や世界のサッカーについてあれこれ結論のない話をしました。

 

当時自分は野村総合研究所の経営コンサルタントとして働いていました。スタジアムに、ゴール裏に、アウェイでの宴席に集う人々は、職業も年齢も本当にバラバラでしたが、サッカーというスポーツを通じて、そしてチャントを唄うことで社会的な背景は全く関係なく繋がることができました。スタジアムには本当に年に何回かですが、物凄いグルーヴが巻き起こる瞬間がありました。ちょっとしたきっかけで、ある選手のしぶといタックルで、粘り強いドリブルで、気力で放ったシュートでスタジアム自体が共鳴し、選手が共鳴し、何かの力で勝利を掴みとる瞬間というものがありました。その時、物理的ではないにせよ、スタジアムは揺れていました。この感覚もずっと自分の身近なところにあります。

 

 

みっつ目:広州の巨大KTVジャック

みっつ目です。これは広州での出来事です。NRIのコンサルタントとして北京に駐在していた頃、広州の大型中国企業に対するプロジェクト受注の営業を支援していました。営業の過程でそれこそ色々とありましたが、それが実になって実際に受注を確定したその日。広州企業側とNRIとで宴席を持ちました。東京からは上層部も来ており、広州企業は董事長も出席する中で、僕の左隣にいたのは広州企業の顧問弁護士でした。白酒を酌み交わして中国語で話をする中で、「日本と中国とはこの100年は色々とあったが、2000年の友人じゃないか」と言った彼の言葉で僕のスイッチは外れてしまいました。

 

その後、互いの上層部を帰し、若手だけで女性が接待するカラオケクラブ(KTV)に行きました。一次会の時点で若手は皆白酒でかなりアルコールは回っている状態ですが、お互いプロジェクトを成立させたことで高揚しており、二次会はもう暴動かと思えるほどの盛り上がり。そのKTVはかなりの大型のハコで、僕らがいるのが二階部分の個室。一階は大型ライブハウスのようで、前にはステージ、後方にはキャバレーのテーブルセットという形です。

 

自分は何を思ったか、一階のステージの中心にあるマイクで何か喋ってやろうと考え、突然一階に下りて、マイクめがけて一直線、文字通りテーブルに上り、座席を蹴倒して、群衆をかき分け、ステージに駆け上がりました。今思えばこのような行動をよくお客さんやスタッフが許してくれたなと思いますが、翌日、スーツの下の脚が傷とアザだらけになっていたので間違いありません。マイクを掴んだ僕は、足下にいる大勢の中国人のお客さんたちに向かって、「俺は日本から来た、一番面白い日本人だ。俺は中国人を愛している。面白い世界が見たい奴は着いて来い!」と中国語で叫びました。

 

どうなったでしょう?その大箱全体が凄まじい盛り上がりになりました。自分では気づきませんでしたが、二階の個室からも皆顔を出して僕の行動、絶叫を見てくれていました。自分は満足したのか、二階に戻りましたが、結果として変な奴らが続々とついてきました。二階で待っていた広州企業とNRIの皆は目を丸くしていました。そして、僕は気を失い自分で後頭部からぶっ倒れ、気づけば翌日病院の廊下、担架の上で目を覚ましたのです。後頭部を5針縫う怪我で、物凄い量の出血だったそうです。

 

 

共通して流れる”グルーヴ”

最後は流血まで行きましたが、これら三つの体験が僕の原体験と呼べるものです。先日、コーチにこの話をしている中で、その光景を思い出しながら、そこに共通して流れるキーワードに対して初めて意識的になりました。それは、”音”であり、”大勢の観客”であり”演者(バンド)”であり、それらが奏でる”グルーヴ”です。職業も組織も年齢も国籍も性別も、全ての垣根を超えるグルーヴです。僕が独立して最初に興した事業である日本食レストランの名前を”おと”にしたのは、こういった想いが背景にあります。

 

牛久を土浦から東京に出て、アウェイゲームを見に行き、日本を飛び出して中国で仕事をしてきたそれぞれのタイミングのクライマックスにこのグルーヴが必ず一度は起こったのです。2013年3月末に帰国し、日本で仕事をする中で、このグルーヴを渇望している自分がいることに気付かされました。自ら型にはまって、職業、組織、年齢、国籍などの鎖を自分で身体に巻きつけていたのです。もう一度、音を奏でてみたい。そのためのバンドを創りたい。そのための場所を創りたい。そして、背景の異なる大勢のお客さんたちと一緒にグルーヴを創り出したい。そう強く想っています。

 

 

一緒にグルーヴを創りだすメンバーいらっしゃいませんか?

僕は今、中国と日本を繋ぐ形でのひとつのアプリを開発しようとしています。最初はマネタイズもせずにお客さんに、簡単で速く便利な新しい体験を提供することができるアプリです。ゆくゆくはビジネスユースで活用してもらうところまで行こうと思っています。

 

しかし今現在、実質的には僕ひとりで動いています。でもそれではソロは出来たとしてもグルーヴを奏でるところまでは行くことができません。想いを同じくしつつ、異なる楽器を持つメンバーが必要です。仲間で気軽に集い、真剣な想いとリラックスした雰囲気の中で好き勝手”音”を出すファクトリー・ガレージが必要だと思っています。

 

その”音”を一緒に奏でるメンバーを集めます!僕が、わたしが!是非とも!という方いらっしゃいませんか?組織や形態に最初はこだわりません。持っている楽器だって何でもいいです。場所についても徐々に決めていけば良いと思っています。時間についてもフレキシブルにやろうと思っています。ひとまずは、僕が創ろうと思っているアプリについての企画を煮詰めていくところからやろうと考えています。

 

上記のような、僕のある意味頭のおかしいとも言える”原体験”についてある程度共鳴できる方であれば、本当に本当に一緒にコラボしながら切磋琢磨して、時には喧嘩して、それでも良い”音”を一緒に奏でて、色々な垣根とか鎖をぶっ壊していくことができれば最高だ!と思える”演じ手”の方、いらっしゃいませんか?!僕ひとりでは到達できない高みを一緒に創ることができれば、それ以上のことは無いと思っています!

 

真剣です。宜しくお願いします。

 

 

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